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11月23日(木)新橋にて懇親会開催

11月23日(木)新橋にて懇親会開催
特定非営利活動法人JYMA日本青年遺骨収集団

ペリリュー会代表横山高司によるJYMAへの寄付及び個人的に応援したいとの思いで2カ月に一度ほどのペースで開催しております。この懇親会は、限られた予算の中で、戦没者の遺骨収集のためにボランティア活動を行う日本の大学生たちに感銘を受け、微力ながら、おいしいものをお腹一杯食べて頂きたいという目的で行っております。

翌日は、晴海ふ頭寄港式に参加。遺骨収集のためにボランティアとして参加している学生たちをお迎えしました。彼らは硫黄島をはじめ、ガナルカナル島、パラオ、ロシア・・と今でも遺骨収集活動している若者がたくさんいることを、この場を借りてお伝えしたいです。

今年12月にJYMAよりなんとパラオで遺骨収集活動を行うことが決まりました。来年は天皇陛下が公式行事でパラオへ御行啓らせられることも決まりました。

これは昨年の硫黄島での遺骨収集活動での話ですが、遺骨が見つかった夜、ホテルの外より、「万歳、万歳、万歳!」と万歳三唱が聞こえてきたそうです。それも、ばんざーいではなく、ばんざい!と間髪なく気迫を込めた三唱が聞こえたということは、大日本帝国時代の歓びの三唱ということのようです。

彼らの活動をぜひ全国の皆様より応援して頂きますことお願い申し上げます。

JYMA日本青年遺骨収集団 http://jyma.org/history

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2014年9月 ペリリュー戦70周年記念大会 参加のご報告

 2014年9月にぺリリュー戦70周年記念大会を開催することが正式にパラオ共和国大使を通じて報告を受けました。

 それに先立ちまして、ペリリュー会より横山高司(ペリリュー第二次世界大戦記念博物館 日本側展示責任者)がパラオ共和国に再訪することをご報告致します。本大会では、日本国より、安倍首相が参列されるとも報告を受けております。

 また、今年5月には日本国参議院議員である佐藤正久議員より、当博物館をご覧頂いたとのご連絡を頂きました。多くの皆様に本博物館をご覧いただき、応援頂きましたことを改めて感謝申し上げます。

 今後とも出来る限り、情報を当ブログを通じて配信していきたいと考えております。よろしくお願いします。

日本青年遺骨収集団JYMAへ寄付

 
 特定非営利活動法人「日本青年遺骨収集団JYMA」様へ寄付をさせて頂きましたことをご報告させて頂きます。

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 今後のペリリュー会との相互連携および「日本青年遺骨収集団JYMA」様の活動支援を行うため、ペリリュー会主催で懇親会を6月3日(月)新橋にて開催致しました。

 JYMA理事長の赤木夫妻をはじめ、副理事の井上様、理事の高橋様ほか学生4名と交流をさせて頂き、今後の活動への継続的なお付き合いをさせて頂くこととなりました。

 また、JYMA様の年次報告書「今を語らん」賛助広告にペリリュー会を掲載させて頂くこととなりましたのでご報告します。

 次回の懇親会日程は、7月28日(月)19時より新橋で開催予定です。

2014年3月29日 パラオ共和国ペリリュー州公式文書

パラオ共和国ペリリュー州政府より、ペリリュー会として2000ドルの寄付とペリリュー戦争記念館改修における感謝状を頂きました。

皆様のご協力によりまして、今後ともペリリュー戦争記念館の日本側展示責任者として活動できるよう政府より承認が頂けましたこと深く感謝の意を述べさせて頂きたいと考えております。

また、在東京パラオ大使館への訪問を予定しておりますのでまたアップデートさせて頂きます。

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Dr. ミノル・FX・ウエキ氏と会談 パラオ・コロール島

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左端:元・パラオ共和国駐日全権大使 Dr. ミノル・FX・ウエキ氏
左2番目:ロックアイランド・ツアー 菊池様
左3番目:倉田江身子氏
左4番目:倉田洋二氏(南方戦線アンガウル島の生存者であり歴史伝承者)
右端:ペリリュー会代表 横山高司 (戦史研究・ペリリュー戦争博物館 日本側監修責任者)
右2番目:杉浦氏(寄付)
右3番目:横山篤司(筆者)

この会談の記録が、ペリリュー戦争博物館(Peleliu World WarII Memorial Museum)をはじめ、太平洋戦争の多くの戦跡保存および活動の参考となり、さらなる活動発展となることを願います。

今後のパラオと日本の友好発展および更なるペリリュー戦争博物館の施設充実および保全のため、今回の会談が実現しました。2010年、私たちは日本で初めて会いました。そして2013年夏のプロジェクト実現まで3年間の歳月をかけました。

その記録は「パラオ・ペリリュー島~未来への礎~」で説明させて頂きました。

私たちペリリュー会は、ペリリュー島の観光産業や遺産保存の推進のため、ペリリュー州政府によるペリリュー戦争博物館(Peleliu World War II Memorial Museum)の運営管理を依頼しました。正式に博物館の運営管理ができるまで何年かかるのか分からないため、ペリリュー会として委嘱状を頂けないかと申請しました。

2014年9月15日に行われる「ペリリュー島戦線70周年式典」に向けて、ペリリュー会は2000ドルを寄付し、その用途を「戦争博物館の屋根補修に充てること」とし、州政府による改修工事を依頼しました。

このようなお願いができるのも、ラストサムライといわれる、元・パラオ共和国駐日全権大使であるDr. ミノル・FX・ウエキ氏の協力があってのことです。

また、ウエキ氏は祖父が愛知県名古屋市にある熱田にゆかりがあり、そこで、パラオのロータリークラブと名古屋南のロータリークラブで提携ができないかという話になりました。ビジネスとしてこの姉妹提携が実現することも、友好関係実現の一端を担うこととでしょう。

倉田先生とは定期的にお会いする中で、前々より貴重なペリリュー戦線の史料の保存を依頼されております。一部をペリリュー戦争博物館内で展示できたらと考えておりますが、この読者の中で、史料保存およびデータ化(PDF等)にご協力頂ける方も募集させて頂きたいと考えております。

この会談を通して、私たちペリリュー会ができることは、
①日本中から頂いた寄付を目に見える形で伝える(ブログやネット等を活用)
②政府と共に活動が行えるよう有効な手段を考える(安易にパラオ人にお金を与えると使ってしまうため、使途用途を明確にしていく)
③より多くの皆様に想いと事実を伝えていくこと。

まだまだ太平洋の各諸島には貴重な戦跡が手つかずのまま残され、多くの英霊が眠ったままとなっております。

私の説明ではまだまだ伝えきれないことも多いため、事実の表記に留まらせて頂きますが、是非ペリリュー戦争博物館(Peleliu World War II Memorial Museum)に来た際には、そのような経緯があったということを頭の片隅において頂けましたら幸いです。

寄付については広く求めることはしておりません(父曰く、さらにやることが増えてしまう)が、ゆっくりとでも、一歩ずつ着実に形になるように活動してまいります。その際は下記までご寄付を頂きましたら幸いです。

募金のお願い及びペリリュー会設立のお知らせ
http://andy0221.blog.fc2.com/blog-entry-12.html

末尾となりますが、現地を訪れ、また遠く離れた地より応援頂きます読者の皆様、本当にありがとうございます。また多額の寄付を送って頂きました伊藤様をはじめ、多くの皆様の名前を博物館のパネルにて名前を掲載させて頂きました。

ペリリュー決戦の戦跡と史実の一致

此処において玉砕した1万有余命の日本軍将兵は制空、制海権のない中、一物一弾の補給も受けず圧倒的な兵力差、火力差の下、最後の一兵まで戦い、そのほとんど96%にあたる10,022名が戦死した。

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日本軍司令部跡


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銃撃戦の跡

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お風呂場の跡

彼等ひとりひとりに家族、友人、愛する人たちがいた20代の若者たちであった。現地人より「いつ故郷に帰るのか」という問いに対して、「故郷にはもう帰らないんだよ」という答えが残っており、そして現実にペリリュー島の日本軍将兵が帰国することは永遠になかった。

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米国側の水陸両用戦車。銃弾貫通、撃破した痕跡。


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この洞窟の中も火炎放射器によって焼かれた跡がある。73日間の激戦を通し、砲撃に耐え、飢えに耐え、孤立状態に耐え、この過酷な蒸し暑い洞窟で必ず死なねばならない運命をどう説明することができようか?

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銃弾をこの手で触れる状態である。

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生活の跡が目の前に残る

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ここからレッドライン。不発弾処理はまだまだ続く。

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横道は未だ不発弾が残る。

守備隊将兵は望郷の念と共に、彼らの最後の電文中にある夜鬼となってもこの島を守るという言葉通り、今も霊魂となってペリリュー島に留まっている。彼らの荒ぶる魂を慰め極楽浄土へ導くには、日本国民が決してこの島で起こったことを忘れず、尊い命を散らした人たちに対する感謝と尊敬の意を持ち、パラオに来た際はペリリュー島を訪れ彼らの時代や散華の意味を考えるべきである。

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これより先、ペリリュー守備隊の唯一の心の支えであった中川大佐自決の地。残兵将兵56名はその後の3日間の遊撃戦の末全滅して、伝統ある栄光の軍旗と共に運命を共にした。

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展示軍旗は、私たちが自らの手と足で製作し、靖国神社においてお祓いを受けた複製品である。

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横山高司は言う。想いを行動にすること。そして「パラオに来た際はペリリュー島を訪れ彼らの時代や散華の意味を考えるべきである。彼らは日本人の誇りなのだから」と説く。決して不戦や平和を説いたり、悲しみや恨みを誘うために改修を行ったわけではない。その時代に身を置き、過酷な環境を体感し、歴史の事実を伝えることで、後世を担う私たちの行動が生まれるという。

筆者である横山篤司33歳は思う。この父の想いを言葉にすることは非常に難しいが、先輩たちの活動を伝えることで、次の世代を担う私たちに様々な勇気を与えることができると。

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左:杉浦氏
中央:泉不動産 小酒井氏
右:横山高司
撮影:横山篤司
ガイド:Azsa

引き続き応援の程よろしくお願い申し上げます。

Day1 3/22 パラオ戦争博物館改修

2014年3月21日、日本(名古屋)より飛行機で4時間、翌22日午前2時半にパラオ・コロール空港に到着。同日午前11時よりペリリュー島へ向けてチャーター便で1時間ほど海を渡り、パラオ戦線の激戦地であったペリリュー島へ到着。

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ロックアイランド・ツアーの菊池様およびベラウツアーのパートナーであり、元・パラオ共和国駐日全権大使であるDr. ミノル・FX・ウエキ氏の協力により、今回もペリリュー島での活動手配全般をご協力頂きました。また、ペリリュー酋長であるオバック氏およびその息子さんであるジェリー氏より大工道具の手配を頂き、作業は2時間ほどで滞りなく終了しました。

現在のペリリュー戦争博物館(Peleliu World War II Memorial Museumの様子です。

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昨年より大幅に施設が充実したのは、前・館長であったDavid氏(2014年2月末で退職)の功績によるものです。

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ペリリュー島に訪れる日本人がここまで増えました。(数年前まで年間200人ほどでした)

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多くのコメントの中でも、「過去の勇敢な人々に感謝しなければ」「戦争の生々しさを実感しました」「やっと来れました。必ず日本の若者に伝えます」といった声がございました。


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ここには生の情報と戦いの跡がそのまま眠っております。

また、David氏とFaceBookを通して情報共有を行いました。彼はNYで長年弁護士として活躍し、叔父がペリリュー島で亡くなられているため、遺骨収集団として参加した際に、この島に留まって貢献をしたいとボランティア館長を引き受けたそうです。この改修資金は何百万に及ぶかと思いますが、すべて彼の私財を投じての成果であります。

私たちペリリュー会として、日米パの共同事業による友好発展と歴史保存に貢献したDavid氏に感謝の意を述べさせていただきます。

しかしながら、ペリリューを含め、パラオには戦跡保存や管理に対してこれといった予算がありません。

David氏の戦争博物館をもっと充実したものとしたい、空調機を新設したい、屋根を補修したい、適切な管理をしたいという想いを皆様に向けて共有させて頂き、私たちペリリュー会として、今後はペリリュー州の管轄として、維持・保存・管理の責務を担えるよう、今後とも働きかけて参ります。

5年前に比べるとかなり博物館も充実した展示となりました。

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Takashi Yokoyama (Peleliu World War II Memorial Museum, Japan side Supervisor)

9月24日~27日 ペリリュー再訪

9月24日~27日まで、横山高司並びにメンバーで急遽、ペリリュー島再訪しました。

パラオ共和国と日本国のさらなる友好を形にし、多くの日本人にも知ってもらうべく活動を続けて参りますので今後ともよろしくお願いします。

私たちは、日米両国において、風化する歴史の中で事実を後世に伝えていくため、文字で残すことの大切さを感じております。現地の報告では「博物館を訪れた様々な国の旅行者が、私たちの作ったパネルを一枚一枚丁寧に読んでいく姿が印象的です」とのことです。

今回は全権大使並びに州長との交流に加え、来年の日本側新聞社による取材並びに慰霊団の企画も伝えに行く予定です。日本全国の皆様より応援やご支援を頂きながら一歩一歩友好を深めて参ります。


また、2014年3月中旬パラオ・ペリリュー島再訪が決定致しましたのでブログにて報告させて頂きます。

本プロジェクトを通して多方面よりご支援を受けまして、父・横山高司は幾度となく名古屋―東京を往復しながら、一つ一つやるべきことを実行しております。

先日は感謝の意を伝えに学研パブリシング様、国会議員佐藤正久先生の政策秘書の佐藤政博様、設計士の原田豊先生、日本旗章協会様の元へ訪問させて頂きました。また、この企画の発端よりサポート頂いた倉田洋二先生にもペリリュー戦争博物館の展示スペース完成をお伝えしました。

3年がかりで達成されたペリリュー戦争博物館改修プロジェクトは、一人の想いから同志が集まり、仲間となり、形になりました。

この足跡を残すことは、「戦争が正しい間違っているという批評をするのではなく、事実を後世に伝えるためである。その時に誰かやるだろうと待つのではなく、自分でやってみようという第一歩が重要である。」そう父は申しております。

確かに、時が経てば事実は誰にも分からないものとなり、歴史を歪曲して伝える人や、感情的に解釈する人も現れるでしょう。わたしたちは、今を生きる日本人として学ぶべきことがたくさんあると今日も思いました。