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2014年9月 ペリリュー戦70周年記念大会 参加のご報告

 2014年9月にぺリリュー戦70周年記念大会を開催することが正式にパラオ共和国大使を通じて報告を受けました。

 それに先立ちまして、ペリリュー会より横山高司(ペリリュー第二次世界大戦記念博物館 日本側展示責任者)がパラオ共和国に再訪することをご報告致します。本大会では、日本国より、安倍首相が参列されるとも報告を受けております。

 また、今年5月には日本国参議院議員である佐藤正久議員より、当博物館をご覧頂いたとのご連絡を頂きました。多くの皆様に本博物館をご覧いただき、応援頂きましたことを改めて感謝申し上げます。

 今後とも出来る限り、情報を当ブログを通じて配信していきたいと考えております。よろしくお願いします。
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9月24日~27日 ペリリュー再訪

9月24日~27日まで、横山高司並びにメンバーで急遽、ペリリュー島再訪しました。

パラオ共和国と日本国のさらなる友好を形にし、多くの日本人にも知ってもらうべく活動を続けて参りますので今後ともよろしくお願いします。

私たちは、日米両国において、風化する歴史の中で事実を後世に伝えていくため、文字で残すことの大切さを感じております。現地の報告では「博物館を訪れた様々な国の旅行者が、私たちの作ったパネルを一枚一枚丁寧に読んでいく姿が印象的です」とのことです。

今回は全権大使並びに州長との交流に加え、来年の日本側新聞社による取材並びに慰霊団の企画も伝えに行く予定です。日本全国の皆様より応援やご支援を頂きながら一歩一歩友好を深めて参ります。


また、2014年3月中旬パラオ・ペリリュー島再訪が決定致しましたのでブログにて報告させて頂きます。

本プロジェクトを通して多方面よりご支援を受けまして、父・横山高司は幾度となく名古屋―東京を往復しながら、一つ一つやるべきことを実行しております。

先日は感謝の意を伝えに学研パブリシング様、国会議員佐藤正久先生の政策秘書の佐藤政博様、設計士の原田豊先生、日本旗章協会様の元へ訪問させて頂きました。また、この企画の発端よりサポート頂いた倉田洋二先生にもペリリュー戦争博物館の展示スペース完成をお伝えしました。

3年がかりで達成されたペリリュー戦争博物館改修プロジェクトは、一人の想いから同志が集まり、仲間となり、形になりました。

この足跡を残すことは、「戦争が正しい間違っているという批評をするのではなく、事実を後世に伝えるためである。その時に誰かやるだろうと待つのではなく、自分でやってみようという第一歩が重要である。」そう父は申しております。

確かに、時が経てば事実は誰にも分からないものとなり、歴史を歪曲して伝える人や、感情的に解釈する人も現れるでしょう。わたしたちは、今を生きる日本人として学ぶべきことがたくさんあると今日も思いました。

OCT.2013 歴史群像

学研「歴史群像」にて本プロジェクトを紹介頂いております。
2013.09.09歴史群像2

2013.09.09歴史群像

戦史検定

戦史検定
http://www.senshikentei.org/

父の戦史に対する知識は相当なものです。

一昨年に戦史検定の初級に合格し、昨年末、第三回戦史検定を受けまして、89点の旅団長で合格したとのことです。第三回の成績はトップだったそうです。

会社での仕事時間を使って軍事研究やプロジェクトの監修を行っておりますので、息子としては複雑な思いです(笑)

また、私がこの記事を書き込んでおります2月23日は父の64歳のお誕生日であります!
そして先月26日は私の長男が誕生しまして、父はおじいちゃんとなりました。

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このプロジェクトに対してご寄付及びご協力頂いた方々(パネル最終項)

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お陰様でペリリュー戦争博物館プロジェクトも1年半の歳月をかけ、本当に本当に多くの皆様のご協力により、形が見えてまいりました。2013年夏よりいよいよ施工開始となります。ここにご協力頂いた方の代表者及び多額のご寄付を頂いた方を掲載させて頂きます。今後ともよろしくお願いします。


Thanks you all for corporations and great kindness for the renovation of the Japanese exhibition space in PeleliuWorld War Memorial Museum.
この戦争記念館の日本側展示改修にあたり、以下の方々のご厚意と協力に絶大なる感謝を捧げます。

AMBASSADOR EXTRAORDINARY AND PLENIPTENTIARY OF THE REPUBLIC OF PALAU TO JAPAN DR.MINORU FX.UEKI
パラオ共和国在日特命全権大使 ミノル・FX・ウエキ

PELELIU STATE CHIEF SHIGEO.OBACK
パラオ共和国ペリリュー州酋長 シゲオ・オバック

PELELIU STATE GOVERNMENT GOVERNOR KANGI-CHI UCHAU
パラオ共和国ペリリュー州知事 カンイチ・ウチャウ

PELELIU STATE GOVERNMENT SPEAKER CHARLES.DESENGEI MATSUTARO
パラオ共和国ペリリュー州議長 チャールズ・デセンゲイ・マツタロウ



THE HOUSE OF COUNCILOR IN JAPAN MASAHISA SATO
日本国参議院議員  佐藤 正久

SECRETARY OF POLICIES SUPERVISOR FOR THE HOUSE OF COUNCILOR IN JAPAN MASAHIRO SATO
日本国参議院政策担当秘書  佐藤 政博



GAKKEN PUBLISHING CO.LTD. REKISHI GUNZOU
株式会社学研パブリシング  雑誌 歴史群像

HISTORY WRITER TOSHIHARU SETO
歴史ライター   瀬戸 利春

EXHIBITION DESIGNER YUTAKA HARADA
展示デザイナー  原田 豊

SHIMOEI, INC CEO NAOKI SHIMOMURA
株式会社下栄   代表取締役 下村 直己

IZUMI REAL ESTATE, INC CEO HIROSHI KOSAKAI
泉不動産株式会社 代表取締役 小酒井 比呂志

ANSHIN JUTAKU CEO SANYA KATO
有限会社安心住宅 代表取締役 加藤 三八

SCUBA DIVING TEAM YAEYAMA TEAM
スキューバダイビングチーム  八重山会

MUSASHI CORPORATION
むさしコーポレーション

PELELIU TEMA
ペリリュー会



THE PERSON IN CHARGE OF JAPANESE EXHIBITION SPACE
TAKASHI YOKOYAMA
展示改修責任者  横山 高司

パラオ・ペリリューの戦い 中川大佐の顔写真求めております

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パラオ・ペリリュー島の戦いで奮戦されました中川大佐の顔写真をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非ともご連絡頂きたくよろしくお願いします。ペリリュー戦争博物館にて、展示用の写真として使わせて頂きたいと考えております。

yokoyama0221@gmail.com
まで

9月27日 週刊ビル経営誌にて

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8/15 終戦記念日 パラオ特集がTV放映

パラオ・ペリリュー戦跡保存会メンバーより

TBSテレビ
8月15日・1745~の報道番組Nスタ内
8月15日・2255~の報道番組ニュース23クロス内

メンバーのS様より、パラオ島に不時着したゼロ戦を独自調査の末、乗組員の名前が判明し、TVで特集されたということでご報告致します。一人一人の活動ですが、点と点が繋がるように嬉しいご報告でした。

IMG_2380.jpg

S様より
アルモノグイに不時着した調査中の機体(零戦)は第261海軍航空隊所属
吉田久光上飛曹と判明した。

旧海軍による記録「飛行機隊戦闘行動調書」(現在、防衛省防衛研究所戦史資料室が保管)
によれば1944年(昭和19年)3月31日、パラオへ米機動部隊の艦載機F6F、150機以上が来襲。

第261海軍航空隊(通称虎)指宿正信大尉指揮する戦闘機隊の
零式戦闘機28機がペリリュー基地より邀撃した。
この日の編成で、第一中隊第三小隊四番機として出撃したのが吉田上飛曹で
吉田機は空戦により被弾、未帰還となっている。

アルモノグイ州のヤマザキ酋長(88歳)の証言によると吉田機は被弾した後
パラオ本島中部(現在のアルモノグイ州)へ不時着を試みている。
飛行機が火を噴きながら降下する様子を付近集落の島民が目撃しており、数人が救助へ向かった。
炎上した操縦席から搭乗員を救出。搭乗員は当初意識があり自らを吉田と名乗った。
島民達は吉田上飛曹の手当を試みたが、重度の全身火傷と外傷により、間もなく息を引き取った。
遺体は島民の手により機体近辺に埋葬された。

※261空は原隊を鹿児島に置く、サイパン基地進出中の航空隊。
3月30日パラオ空襲に呼応し(パラオ近海へ展開中の米機動部隊へ攻撃の522空彗星隊12機の
護衛を121空の戦闘機隊55機が担った)パラオ上空へ向うも会敵せず、ペリリュー基地へ着陸。
翌31日、再度の空襲によりペリリューからの迎撃に至る
この空中戦により同部隊28名のうち
准士官以上2名、下士官兵18名、合計20名の搭乗員が自爆または未帰還となった。

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そこで遺族を調査し、先日そのご遺族に報告へ長崎県島原へ参りました。
突然の知らせにたいへん驚いておりました。パラオで戦死したとは知っていたけれども
その飛行機が現在でも残骸として残っていたとは予想外だったようです。

近所には戦友や同級生もお住まいで、人柄や出征前の思い出話を伺ってきました。
二十一歳で散華されたようです。

ぜひ現地で遺骨収集をしたいとの強い申し出でしたので
急ではありますが、8/6から、ご遺族4名をパラオの墜落現場へお連れして
遺骨の収容作業を試みます。
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