スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

パラオ 戦跡保存と未来への礎

IMG_1587.jpg

左より

小玉袈裟喜先生
みかみ女将
横山高司
倉田江身子様
横山篤司(管理人・筆者)
ミノル・F.X. ウエキ パラオ共和国全権大使
陸上自衛隊二等陸佐 T様
倉田洋二先生
水戸二連隊・ペリリュー島慰霊会 Y様
戦史戦跡研究室 S様
水戸二連隊・ペリリュー島慰霊会 S様


皆様のご紹介を簡単にさせて頂きます。(年齢順とさせて頂きました)

小玉袈裟喜先生
88歳でもお元気です。パラオ島にはこれまで50回以上訪問し、一緒に戦った戦友達への慰霊のため、慰霊碑の保存活動を倉田先生と共に行っていらっしゃります。

陸上自衛隊 2等陸佐 T様
自衛隊の幹部機関誌「修親」でパラオに関する執筆活動を行い、幹部教育でパラオに対する理解を求める活動をしていらっしゃります。

水戸二連隊・ペリリュー島慰霊会 S様
パラオ諸島の戦跡保存並びに遺骨収集の活動をしていらっしゃります。何度もパラオの地を訪れ、戦跡調査や米国側資料の解読なども独自で行っていらっしゃります。

水戸歩二会・ペリリュー島慰霊会 Y様
青森県で山岳グッズのショップを経営していらっしゃります。パラオには同団体S様と共に戦跡調査や遺骨収集をしていらっしゃります。特に上記任務が捗るように個人的な政治の繋がりを活かして協力していらっしゃります。

パラオ共和国大使館 特命全権大使 ミノル・F.X. ウエキ氏
特命全権大使として日本に来て3年、武士道の精神を持った日系パラオ人であり、パラオと日本の親善を強く望んでいらっしゃります。

戦史戦跡研究室 S様
29歳、戦跡の写真を撮影し、日本で写真展や講演活動などを行っていらっしゃります。
スポンサーサイト

パラオと日本の歴史保存及び友好関係樹立のため

日時:2012年4月21日(土)~4月22日(日)
場所:旅館みかみ(伊東温泉)
午後14時~

~日本でのパラオ諸島戦跡保存会設立(仮)を目指して~

IMG_1581.jpg IMG_1579.jpg IMG_1573.jpg

パラオ大使館特命全権大使であるミノル・F.X. ウエキ氏の慰労温泉旅行を兼ねて、倉田洋二先生召集の下、日本各地でパラオ島の歴史・戦跡関係を調査する方々が一堂に介しました。そして、年齢層として下は20代から上は80代まで、世代を超えて様々な意見交換を行い、まさに今だからこそ「日本人が一つとなって保存活動や調査活動を行おう」と決意をしました。

これまでは、水戸、茨城の遺族者同士でどちらが主導権を取るだとか、民間と政府間で様々なトラブルがあったりなどし、遺骨収集から墓石建造・管理まで、その行動はかなり制限があったといいます。倉田先生の願いでもある、「末代まで供養できる活動を繋げる」ならば、日本人として、そこに行った日本人が誰でも供養できねばなりません。

私の父、横山高司氏は今後の戦跡管理や組織についてこう意見しました。

「私はこの中で組織を作るとか、政治家や遺族の派閥をどうこうするとかは、今はあまり関わることができません。私はいち民間人として、愛知県という皆様とは関係のないところからパラオに来て、ペリリュー戦争博物館の日本展示室が荒れ放題の有様がほっとけなかっただけなのです。失礼ではございますが、皆様は英霊に対する想いがこれだけあって、なぜ誰一人、墓石を補修しないのか、助け合わないのか、実行しないのか、そこに問題を感じているのです。」

そして、未来へ繋ぐという活動についてもこう意見しました。

「誰かが墓石の管理や投資を行うにはお金がかかります。だからといって日本政府の厚生省や外務省へお金を出させるように運動を続けたって、「ペリリュー戦争博物館はいつきれいになるのだろうか?」これが解決されません。この小さな博物館の改修に多くの人を巻き込む必要もないかと思いますので、皆様のお知恵を拝借しながら、必ずこの戦争博物館の日本展示室改修任務を成し遂げます。そして、未来へ繋ぐという活動については、私が行った「形」を見て、次の新しい世代の人間が感じればよいと思っています。」

倉田洋二先生の要望もあり、大切な史料を父に託したいとの想いをどう実現すべきかを考えています。

設計士・原田豊先生と意気投合

IMG_1572.jpg

中央:横山高司
右:原田豊氏

連隊旗の測量作業ののち、九段下近くの飲食店で今後のペリリュー戦争博物館改修プロジェクトの打ち合わせをさせて頂きました。

今回の作業を無償で引き受けてくださった原田豊先生へ感謝しますと同時に、原田先生より「今後の活動を共に行いたい」とのお言葉を頂きました。参院議員の政策秘書官である佐藤様のご紹介でこのご縁を頂きましたこと感謝致します。

原田先生は靖国神社にある「遊就館」の本館の改修・新館竣工を含めた展示設計を担当され、総額何十億という予算のプロジェクトを成功に導きました(平成14年7月)。彼のお話を引用させて頂きますと、「そこに奉納されている展示品の数々は金額では計れない価値があり、その展示品を如何にこれからの世代に伝えていくか」を一生懸命考えられたそうです。その上で、靖国神社の存在そのものが「赤」「右派」といった見方をする人も最近多くなっているとのことで、やはり設計者としては「ありのままの事実を伝える」ことに専念したそうです。

館内で測量の後、靖国神社を案内してもらったのですが、原田先生のユーモアに富んだお酒大好きな性格もとってもよかったです。靖国神社の関係者や巫女さんの裏話も興味深く、勉強家で、まさに名プロデューサーでした。

原田先生も父と同じく60の還暦を超えました。
「六十にして耳順ひ 七十にして心の欲する所に従ひて矩を踰えず」
といいますが、80を超えても日本のため、公のため、「創れる人」を貫いて欲しいです。


~追記~
原田豊先生からペリリュー戦争博物館の展示ストーリを頂きました。
「若い人たちに判りやすく、特に米国人が日本兵を理解するうえで精神の支柱となった拠り所を少しでも考える場となるように考えます。勝ち負けではなく、戦争の持つ不条理さと、その渦中に生きた兵士と同目線で対峙できる空気が少しでも形になればと思います。」

原田豊
1951(昭和26)年 鹿児島県生まれ。
http://g-com-lb.com/harada_yutaka/index.html

靖国神社「遊就館」 連隊旗の測量作業

IMG_1548.jpg IMG_1545.jpg IMG_1564.jpg

4月19日(木)
「遊就館」の本館の改修・新館竣工を含めた展示設計を手掛けた原田豊氏のご厚意により、靖国神社の「遊就館」に展示されている歩兵第三百二十一連隊の連隊旗の測量を行わせて頂きました。

遊就館の館長並びに連隊旗を寄贈した遺族の方々、また測量作業を手伝って頂いた皆様、本当にありがとうございました。

後日談ではございますが、今回のプロジェクトをご遺族の方々にお伝えしたところ、二つ返事で「是非ともお願いします」とお返事を頂いたそうです。そしてこれまでの靖国神社「遊就館」の歴史の中で、特別室に奉納されているご遺族の品々がガラスケースより取り出され、日の目を見たというのも初めてだったそうです。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。