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愛知県陸上自衛隊「守山駐屯地」 視察及び会合

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陸上自衛隊の守山駐屯地の隊員ご協力の下、横山高司氏が寄贈した銃剣二本及び史料館の視察を行い、その後は隊員交流会を致しました。我が社として、名古屋駅前に自衛隊広報の事務所スペースを提供し、弊社と自衛隊とは40年以上のお付き合いとなります。

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「心ある人間によって保存されるのが銃剣も本望だろう」と横山氏は言います。

弊社がビル経営を行う中で、退役された自衛官の方々を警備として採用して共に働いてきた経緯もあり、物心両面の関係として深いものとなっております。

退役を控えた自衛官の方々が、日本国の安全を気にされておりました。
「ひと昔前は北方のロシアに対する警備防衛を主としていたが、昨今は南方の中国に対する警備防衛が緊迫している」

私は人生の諸先輩方のご意見を聞いておりますと、60歳を超えたからこそ、社会に貢献すべき役目があると思います。それは、若い人へ、国家存亡の歴史やリーダーシップを伝えていくことです。

その活動をサポートするため、私もささやかながらこのブログを通して報告させて頂きました。
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ペリリュー戦争博物館 展示施設 製作実施状況

〇ゆっくり続けること

〇しっかりやりきること


この戦史保存活動においては、何をテーマとして行動していくべきかという「目標」と、何を成し遂げるために行動するのかという「目的」を考えることが必要に感じております。現在のペリリュー会及びペリリュー戦争博物館改修事業については、パラオでの戦史保存と日パ友好関係をテーマとして、皆の得意分野を活かして一つ一つ創り上げることに専念しております。

●陸上自衛隊二等陸佐T様より、自衛隊幹部候補機関紙に掲載された「忘れざるべき南方の勇者たち」を改編し、ペリリュー戦争博物館で展示できるように校正しております。

●水戸二連隊・ペリリュー島慰霊会S様より、ペリリュー島で戦った日本軍の第二連隊及び第一五連隊の説明文を作成頂き、ペリリュー戦争博物館で展示できるよう執筆活動をしております。

●水戸二連隊・ペリリュー島慰霊会Y様より、パラオ戦史保存会(仮)の組織立上げに関する定款・体制などの構築・アドバイスなどをしております。

●戦史戦跡研究室S様は、護国神社でパラオ戦史に関する写真展を開催致しました。

●横山高司氏は、連隊旗の製作・設計作業を引き続き行いながら、プロジェクト全体の構成を纏めている最中です。


皆様、お忙しい時間の中で、パラオと日本の架け橋を盤石なものとするために活動していらっしゃる様子に感激しております。

日本はまだまだ捨てたものではないと父は言っております。

私は思います。個人主義かつ資本主義の時代に移り変わりつつある日本においても、人々がその国の歴史・文化・精神を完全に無視することはできないと。

孔子の論語より、
「子曰く、人能く道を弘む。道の人を弘むるに非ず。」
孔子がいうには、人はよく道を大きくするが、道が人を大きくすることはできない。

世の中には「道」が当然のようにあって、その「道」が人を大きくするのではない。先輩・リーダーが道を切り開き、若い人へ感化させ、「道」を作っていかねば、「道」は大きくならないということです。また、食っていける道(活動費)、続けていける道(管理費)でなければ、若い人の協力を得られる機会も限られるので、この道は一人で作ることは不可能です。どう道を弘げていくかも、リアルタイムに考えていきたいですね。

パラオ共和国 日本人観光客(2011年)データ

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パラオ共和国 日本人観光客について(2011年)

観光客数
2011年にパラオを訪れた年間観光客数に関するデータが発表され、総数は109,057人、日本人は37,800人、台湾人は37,632人で、前年に比べ全体で27.4%の増加した。また2012年1月期の観光客数は11,161人で、昨年同時期と比較して約20%増加し、内訳は台湾人が3,686人、日本人が3,508人、韓国人が1,885人であった。

人種構成
人口の70%程度はパラオ人で、他にフィリピン人が多い。人口の半分以上は旧首都コロールに住む。日系パラオ人は全人口の25%を占めるともいわれている。

言語
パラオでもっとも使われている言語は公用語の一つパラオ語 (64.7%、以下 United Nations Statistical Yearbook 2002より)である。次いでフィリピノ語 (13.5%)、公用語の一つ英語 (9.4%)、中国語 (5.7%)、カロリン語 (1.5%)、日本語 (1.5%)。

宗教
主な宗教はキリスト教で、カトリックが41.6%、プロテスタントが28.2%。他にカトリックと伝統宗教が融合した新宗教モデクゲイが8.8%、エホバの証人(166人)、モルモン教(124人)や、土着の宗教がある(2000年センサスより)。

在パラオ大使館
http://www.palau.emb-japan.go.jp/index.htm

パラオの日本戦没者慰霊碑移設 立ち退きから再興 100人の“善意”

転載させて頂きました。

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2011.1.4 20:42 産経新聞より転載

無事移転された慰霊碑や観音像を清掃する倉田洋二さん

パラオ・アンガウル島(釘宮敏浩さん撮影)
太平洋戦争で日本軍が玉砕したパラオのアンガウル島に立つ戦没者慰霊碑が、ホテル建設計画のため立ち退きを迫られていたが昨年、日本国内の人々の善意により無事移設された。「戦友の碑を守りたい」と奔走した玉砕戦経験者でパラオ在住の海洋生物学者、倉田洋二さん(84)は「きれいになった。皆さんに感謝したい」と、この冬、帰国して関係者らに移設の報告に回っている。

パラオは昭和20年の終戦まで31年間、日本が統治した。日米の激戦地となりアンガウル島でも日本軍の守備隊が玉砕した。戦後、倉田さんは東京都職員としてウミガメの食用研究を進め「カメ博士」と呼ばれた。平成6年、戦友の墓守をしたいとパラオへ移住した。

アンガウル島の浜辺には「戦没日本人之碑 日本国政府 内閣総理大臣 吉田茂」などと刻まれた昭和28年建立の日本国の碑など慰霊碑26基と観音像1体が太平洋かなたにある日本の方角を向いて建てられていた。ところが平成20年に地主から移転を求められ、島内で代替地を確保できたものの移設費に苦慮した。

倉田さんが同年、一時帰国して寄付を募って回ったが、戦友会は解散し、遺族の多くは亡くなって連絡が取れなくなっていた。戦友のため奔走する倉田さんの姿を本紙などが紹介したところ、3つの団体と100人を超える個人から目標の80万円を上回る約350万円が寄せられた。

当時、厚生労働省は国が建てた碑の移設費は国が負担するとしていたが、同省外事室は「倉田さん側から費用が十分集まったため負担に及ばないとの連絡があり、お任せすることにした」という。約250万円かけ平和公園を整備し、すべての碑と観音像を移した。熱帯気候で育たないソメイヨシノに代えて、真っ赤なインドザクラも約20本植えた。残金約100万円は維持管理費に充てる。

倉田さんは「新聞記事を読んで寄付してくださった方が一番多かった。本当にありがたい。だが関係者は亡くなっていき、私もこの年齢。日本の国が何とか永代供養を考えてほしい」と話している。
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