スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

パラオの日本戦没者慰霊碑移設 立ち退きから再興 100人の“善意”

転載させて頂きました。

kurata.jpg

2011.1.4 20:42 産経新聞より転載

無事移転された慰霊碑や観音像を清掃する倉田洋二さん

パラオ・アンガウル島(釘宮敏浩さん撮影)
太平洋戦争で日本軍が玉砕したパラオのアンガウル島に立つ戦没者慰霊碑が、ホテル建設計画のため立ち退きを迫られていたが昨年、日本国内の人々の善意により無事移設された。「戦友の碑を守りたい」と奔走した玉砕戦経験者でパラオ在住の海洋生物学者、倉田洋二さん(84)は「きれいになった。皆さんに感謝したい」と、この冬、帰国して関係者らに移設の報告に回っている。

パラオは昭和20年の終戦まで31年間、日本が統治した。日米の激戦地となりアンガウル島でも日本軍の守備隊が玉砕した。戦後、倉田さんは東京都職員としてウミガメの食用研究を進め「カメ博士」と呼ばれた。平成6年、戦友の墓守をしたいとパラオへ移住した。

アンガウル島の浜辺には「戦没日本人之碑 日本国政府 内閣総理大臣 吉田茂」などと刻まれた昭和28年建立の日本国の碑など慰霊碑26基と観音像1体が太平洋かなたにある日本の方角を向いて建てられていた。ところが平成20年に地主から移転を求められ、島内で代替地を確保できたものの移設費に苦慮した。

倉田さんが同年、一時帰国して寄付を募って回ったが、戦友会は解散し、遺族の多くは亡くなって連絡が取れなくなっていた。戦友のため奔走する倉田さんの姿を本紙などが紹介したところ、3つの団体と100人を超える個人から目標の80万円を上回る約350万円が寄せられた。

当時、厚生労働省は国が建てた碑の移設費は国が負担するとしていたが、同省外事室は「倉田さん側から費用が十分集まったため負担に及ばないとの連絡があり、お任せすることにした」という。約250万円かけ平和公園を整備し、すべての碑と観音像を移した。熱帯気候で育たないソメイヨシノに代えて、真っ赤なインドザクラも約20本植えた。残金約100万円は維持管理費に充てる。

倉田さんは「新聞記事を読んで寄付してくださった方が一番多かった。本当にありがたい。だが関係者は亡くなっていき、私もこの年齢。日本の国が何とか永代供養を考えてほしい」と話している。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

まとめtyaiました【パラオの日本戦没者慰霊碑移設 立ち退きから再興 100人の“善意”】

転載させて頂きました。2011.1.420:42産経新聞より転載無事移転された慰霊碑や観音像を清掃する倉田洋二軍が玉砕したパラオのアンガウル島に立つ戦没者慰霊碑が、ホテル建設計画のため
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。