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~はじめに~ブログ管理人・記録員雑記

~記録員・雑記~

戦後より66年が経つ。

戦争を知らない日本人の私にとって、またこのブログを読んでくださる多くの日本人の方々にとって、「戦争とは何かについて」考える機会が少ないのが現実であろう。

私が初めてパラオ・ペリリュー島の地の降り立ったのは2009年1月。

ペリリュー島戦争博物館を訪れた際、戦争当時の弾丸や銃が建物の敷地に雑然と転がっており、あまりの生々しくも痛々しい姿を見て、「日本人としてこのまま放っておいてよいのか?」と心の中で思うようになった。そして、誰かがやってくれるだろうと思うのでなく、いち日本人としてできる事はやらなければならない!という父の強い意思となり、今回、このお話がスタートしました。

倉田先生の娘さんであります江身子さんはおっしゃりました。

「戦争遺跡の管理や保存にはお金がかかる。」

これまでは戦争で生き残った有志の戦士やパラオ・サクラ会のような日系二世の方々の尽力によって立派な石碑やペリリュー神社のような社を建造することができたのですが、木々や雑草の成長は早く、少し管理を放置するだけで道がなくなってしまうくらいに荒れ果ててしまうそうです。そして21世紀の今、有志の管理人は一人一人と少なくなり、これからの管理・保存をどうすればよいのかと相談を受けました。

私は思います。

66年前のこの地に日本人がいたこと、戦争を乗り越えて日本は経済大国となったこと、そして今は日本人一人一人がやる気になれば、世界で驚くほどの経済力、知識力、思考力があることです。このように英霊たちが日本を想い、一生懸命創ってきたからこそある日本の豊かさを、今の私たちがダラダラと使い続けることを恥じねばなりません。

そして、倉田洋二先生はおっしゃりました。

「このペリリュー島で戦った水戸・高崎・宇都宮より来られた兵士だけでなく、臨時で駆り出された様々な地域からきた兵士たちがこの地に眠ることを考えると、これからは遺族の枠を超えて、国家や日本人一人一人の思いでこの地を管理してほしい」といいます。


私の父の呼びかけが一つの形として多くの日本人から寄付金が集まり、「パラオ・ペリリュー島戦争博物館、戦争史料寄付事業」となったのは、その小さな個人の動きにしか過ぎません。

私は一人でも多くの日本人に、この美しいパラオの海を見る時間の合間の数時間でも、ペリリュー島を知るきっかけになれればと思い、ブログから発信できることはあるのではないかと思っております。

このブログを拝見してくださる方々と様々なコミュニケーションが取っていきたく宜しくお願いします。

~連絡先は下記まで~
yokoyama0221@gmail.com
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