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ペリリュー決戦の戦跡と史実の一致

此処において玉砕した1万有余命の日本軍将兵は制空、制海権のない中、一物一弾の補給も受けず圧倒的な兵力差、火力差の下、最後の一兵まで戦い、そのほとんど96%にあたる10,022名が戦死した。

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日本軍司令部跡


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銃撃戦の跡

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お風呂場の跡

彼等ひとりひとりに家族、友人、愛する人たちがいた20代の若者たちであった。現地人より「いつ故郷に帰るのか」という問いに対して、「故郷にはもう帰らないんだよ」という答えが残っており、そして現実にペリリュー島の日本軍将兵が帰国することは永遠になかった。

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米国側の水陸両用戦車。銃弾貫通、撃破した痕跡。


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この洞窟の中も火炎放射器によって焼かれた跡がある。73日間の激戦を通し、砲撃に耐え、飢えに耐え、孤立状態に耐え、この過酷な蒸し暑い洞窟で必ず死なねばならない運命をどう説明することができようか?

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銃弾をこの手で触れる状態である。

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生活の跡が目の前に残る

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ここからレッドライン。不発弾処理はまだまだ続く。

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横道は未だ不発弾が残る。

守備隊将兵は望郷の念と共に、彼らの最後の電文中にある夜鬼となってもこの島を守るという言葉通り、今も霊魂となってペリリュー島に留まっている。彼らの荒ぶる魂を慰め極楽浄土へ導くには、日本国民が決してこの島で起こったことを忘れず、尊い命を散らした人たちに対する感謝と尊敬の意を持ち、パラオに来た際はペリリュー島を訪れ彼らの時代や散華の意味を考えるべきである。

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これより先、ペリリュー守備隊の唯一の心の支えであった中川大佐自決の地。残兵将兵56名はその後の3日間の遊撃戦の末全滅して、伝統ある栄光の軍旗と共に運命を共にした。

パラオ・ペリリュー島 315
展示軍旗は、私たちが自らの手と足で製作し、靖国神社においてお祓いを受けた複製品である。

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横山高司は言う。想いを行動にすること。そして「パラオに来た際はペリリュー島を訪れ彼らの時代や散華の意味を考えるべきである。彼らは日本人の誇りなのだから」と説く。決して不戦や平和を説いたり、悲しみや恨みを誘うために改修を行ったわけではない。その時代に身を置き、過酷な環境を体感し、歴史の事実を伝えることで、後世を担う私たちの行動が生まれるという。

筆者である横山篤司33歳は思う。この父の想いを言葉にすることは非常に難しいが、先輩たちの活動を伝えることで、次の世代を担う私たちに様々な勇気を与えることができると。

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左:杉浦氏
中央:泉不動産 小酒井氏
右:横山高司
撮影:横山篤司
ガイド:Azsa

引き続き応援の程よろしくお願い申し上げます。
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