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戦史検定

戦史検定
http://www.senshikentei.org/

父の戦史に対する知識は相当なものです。

一昨年に戦史検定の初級に合格し、昨年末、第三回戦史検定を受けまして、89点の旅団長で合格したとのことです。第三回の成績はトップだったそうです。

会社での仕事時間を使って軍事研究やプロジェクトの監修を行っておりますので、息子としては複雑な思いです(笑)

また、私がこの記事を書き込んでおります2月23日は父の64歳のお誕生日であります!
そして先月26日は私の長男が誕生しまして、父はおじいちゃんとなりました。

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パラオ戦争博物館 改修プロジェクトについて

<パラオ戦争博物館 改修プロジェクトについて>

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 事の発端は、私の父・横山高司がパラオ共和国に訪れた際、ペリリュー島で旧・日本軍の弾薬庫に置かれた数々の遺品や弾丸の残骸を見たことにはじまります。若かりし父が最初にペリリュー島を訪れた20年前から時は経て2009年、その状況は当時のままでした。

父「誰かがやると思っていたが、誰もやらなかった。」

 第二次世界大戦でのペリリュー島の戦い(1944年9月~12月)~それは、その後に続くサイパン島・グアム等での戦いや硫黄島の戦いに比べれば、知名度はないかもしれません。しかし、後世の軍事評論家が評価する知名度や激戦度といった指標で物事を見るのではなく、実際にその場で、日本人が戦い、その遺品がそのまま放置されていることを見て、何か一歩を踏み出す勇気を共有できればと思い、ブログに書き記しております。

 父の一つの想いから始まり、パラオ共和国大使をはじめ、有志で協力くださる自衛隊の皆様、設計・施工に携わってくださる協力者様、何百万という多額の寄付をくださった有志の皆様が現れました。また、そのパラオ諸島の戦いの歴史を何度も教えてくださった倉田様をはじめとするペリリュー戦跡保存会の皆様が、その歴史のピースを繋ぎ合せてくださり、出版社や旗章学協会といったプロフェッショナルの協力を得ることができました。

父「批評したり、知識を披露するのはよいが、行動はしないのか?」

 そして、今ではペリリュー島のオバック酋長や現地の島民・観光業者の賛同を得て、永久保存できる体制を整えつつあります。

現地「大使だけでなく、酋長や、現地のスタッフもみんなやる気になっておりますので、統率を求めております!電話もメールも繋がりにくい連絡体制なのです。」

 全国に住む日本人の皆様におかれましても、その気持ちが共有できましたら、どうぞ父と協力して頂くことも願っておりますし、旧日本軍の遺品や遺骨が眠る島々を訪れた際に、同じような気持ちが起こりましたら、このブログを参考にして一歩を踏み出していければ幸いです。

文責:横山篤司

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このプロジェクトに対してご寄付及びご協力頂いた方々(パネル最終項)

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お陰様でペリリュー戦争博物館プロジェクトも1年半の歳月をかけ、本当に本当に多くの皆様のご協力により、形が見えてまいりました。2013年夏よりいよいよ施工開始となります。ここにご協力頂いた方の代表者及び多額のご寄付を頂いた方を掲載させて頂きます。今後ともよろしくお願いします。


Thanks you all for corporations and great kindness for the renovation of the Japanese exhibition space in PeleliuWorld War Memorial Museum.
この戦争記念館の日本側展示改修にあたり、以下の方々のご厚意と協力に絶大なる感謝を捧げます。

AMBASSADOR EXTRAORDINARY AND PLENIPTENTIARY OF THE REPUBLIC OF PALAU TO JAPAN DR.MINORU FX.UEKI
パラオ共和国在日特命全権大使 ミノル・FX・ウエキ

PELELIU STATE CHIEF SHIGEO.OBACK
パラオ共和国ペリリュー州酋長 シゲオ・オバック

PELELIU STATE GOVERNMENT GOVERNOR KANGI-CHI UCHAU
パラオ共和国ペリリュー州知事 カンイチ・ウチャウ

PELELIU STATE GOVERNMENT SPEAKER CHARLES.DESENGEI MATSUTARO
パラオ共和国ペリリュー州議長 チャールズ・デセンゲイ・マツタロウ



THE HOUSE OF COUNCILOR IN JAPAN MASAHISA SATO
日本国参議院議員  佐藤 正久

SECRETARY OF POLICIES SUPERVISOR FOR THE HOUSE OF COUNCILOR IN JAPAN MASAHIRO SATO
日本国参議院政策担当秘書  佐藤 政博



GAKKEN PUBLISHING CO.LTD. REKISHI GUNZOU
株式会社学研パブリシング  雑誌 歴史群像

HISTORY WRITER TOSHIHARU SETO
歴史ライター   瀬戸 利春

EXHIBITION DESIGNER YUTAKA HARADA
展示デザイナー  原田 豊

SHIMOEI, INC CEO NAOKI SHIMOMURA
株式会社下栄   代表取締役 下村 直己

IZUMI REAL ESTATE, INC CEO HIROSHI KOSAKAI
泉不動産株式会社 代表取締役 小酒井 比呂志

ANSHIN JUTAKU CEO SANYA KATO
有限会社安心住宅 代表取締役 加藤 三八

SCUBA DIVING TEAM YAEYAMA TEAM
スキューバダイビングチーム  八重山会

MUSASHI CORPORATION
むさしコーポレーション

PELELIU TEMA
ペリリュー会



THE PERSON IN CHARGE OF JAPANESE EXHIBITION SPACE
TAKASHI YOKOYAMA
展示改修責任者  横山 高司

11月までの報告事項

①ペリリューマップ ②ペリリューマップ ⑦見積詳細(設計図)1 ⑧見積詳細(設計図)2
英訳業務

ペリリュー島の人々とプロジェクトへ
先月、横山高司氏がパラオ共和国ウエキ特命全権大使と会議を行い、ペリリュー島の人々と共に博物館の改修プロジェクトを行うことが決まりました!現地の施工会社と日本の設計会社による共同プロジェクトとして、現在は施工プロジェクト概要の英訳を行っております。

ペリリュー戦争博物館の展示物記事について小学館様および防衛庁資料館のご協力により、ペリリューの戦いにおける概要および戦争経過の情報及び記事を頂くことができました。

展示物の英訳について
防衛庁の軍事関係の英訳を専門的に行う方のご協力により英訳を特別に行って頂くことができました。

ペリリュー戦争博物館の設計・施工について
こちらも順次進んでおります。

これにより、戦争博物館の目玉となる連隊旗と、展示パネルの製作がほぼ決まりました。加えて、展示物として模造品などで展示スペースの充実を現在考えております。皆様のお力でここまでこれましたこと誠に感謝いたします。今後とも皆様からのご寄付やご協力を賜りたくよろしくお願いします。

パラオ・ペリリューの戦い 中川大佐の顔写真求めております

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パラオ・ペリリュー島の戦いで奮戦されました中川大佐の顔写真をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非ともご連絡頂きたくよろしくお願いします。ペリリュー戦争博物館にて、展示用の写真として使わせて頂きたいと考えております。

yokoyama0221@gmail.com
まで

靖国神社の本殿にて昇殿参拝及び日章旗のお祓い

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本日は、靖国神社の格別なご厚意により、本殿にて昇殿参拝及び日章旗のお祓いを行いました。

靖国神社の御神体である大きな神鏡の前で、神職による日章旗の入魂及び祝詞の奏上を行い、これからの前途を祈願致しました。

これからパラオ諸島ペリリュー島の地へと向う日章旗は、正式に護国神社を代表する靖国神社にてお祓いを受けまして、来年の夏頃には日本を離れる予定となっております。ペリリュー戦争博物館に寄贈されたのちは、未だに日本へ帰る事無くペリリューの地で守り続けている英霊達の心の拠り所となり、その旗を目印にして心安らかに眠って下さることを私たちは願っております。

これは父・横山高司の後日談ではございますが、日章旗の入魂及び祝詞の奏上の最中に、若い兵隊さんと中年の兵隊さんが、すっと日章旗に入っていくお姿を、心の中で見ることができたそうです。

ペリリューの戦いでは10,022名の日本人が命を落としました。1944年11月24日に司令部は玉砕を決定、中川中将が自決した後、玉砕を伝える「サクラサクラ」の電文が本土に送られ、翌朝にかけて根本甲子郎大尉を中心とした55名の残存兵による「万歳突撃」が行われたそうです。

最後の55名になったとき、最後の聯隊旗主となった烏丸少尉はどんな思いでこの聯隊旗を燃やしたことでしょうか。「日本の地には戻れずとも、夜鬼となってこの地を守り続ける」と言い残して、55人の部隊を13組に分けて最後の特攻を行ったそうです。「その思念は夜鬼となって今でも洞窟に留まっている」とある方は申しております。

これも父の後日談ですが、「この聯隊旗を作りたい」と初めて人にお話をした際、英霊の御声を聞くことができる方がそっと父におっしゃったそうです。「皆様、待っておりますよ」。本当であるか嘘であるかはわかりませんが、戦後68年経った今でも、日本に帰ってきていない英霊がまだいるのだということを「信じる」ことも、大切に思いました。今後ともよろしくお願い申し上げます。


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横山高司と日章旗

日本旗章学協会 報告会 にて

日時:9月30日(日)午後1時より
場所:飯田橋(東京) 日本旗章学協会 会議室にて

日本旗章学協会様のご厚意により、9月度定例会にて今回の戦争博物館プロジェクトの設立経緯から現在までの進捗を報告する場を設けて頂きました。

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そして、聯隊旗レプリカの披露をさせて頂きました。

このブログを通じて、本当にご縁でありますが、聯隊旗のデータを収集しておりました日本旗章学協会の会員様よりご連絡を頂き、情報交換を通して今回のミーティングが実現致しました。

ペリリュー会の代表・横山高司より、聯隊旗レプリカの復元の苦労話を紹介させて頂きましたので一部をご紹介します。

聯隊旗レプリカの復元には製作期間に4ヵ月超を費やしました。日本全国、様々な有識者からの情報提供を受けながら、昭和19年の奉焼時の聯隊旗を忠実に再現したいという一面と、博物館に展示するために耐久性を考慮しなければならない一面とで二転三転した過程が実際にありました。

特にペリリューの地では湿気が多く、博物館内の展示環境も充実したものとはいえないため、下記の理由を以て復元作業を行いました。

① 聯隊旗のデザイン及びサイズは昭和7年以前の型とし、実際にペリリュー島へ持ち込んだとされるものとする。
② 本物の聯隊旗は絹であるが、レプリカの聯隊旗は合成繊維とする(耐久性の問題)
③ 日章旗の朱色の種類については、「赤色」と認識できるものとする(経年劣化に強い染料を用いました)
④ 聯隊旗の房の色は、古代紫と言われ、職人がなかなか見つからなかったが、最後は京都に出向いて特別に作って頂きました。
⑤ 竿頭について、天皇陛下のために献上することができる職人さんが限られているため(全国探しましたが見つかりませんでした)、昔、竿頭を作っていた師匠のお弟子さんにお願いしました。
⑥ 本物の旗棒は樫の木であるが、持ち運びの観点から桜の木とする。
その他の細かい点については、また問い合わせくださいませ。

完成にあたり、NHK坂の上の雲で撮影に使われた聯隊旗を拝見させて頂いたり、学研様、小学館様などの歴史に詳しい方々にもお聞きし、様々なご縁が広がりました。

また、今回、日本旗章学協会様よりご寄付を頂きまして、この活動に賛同頂いたこと深く感謝致します。

今後は博物館の館内展示物の英語翻訳などでもご協力を頂く予定となっております。


日本旗章学協会(JAVA, Japanese Vexillological Association)
http://java2010.blog102.fc2.com/

9月27日 週刊ビル経営誌にて

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